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1
「八雲君。大変」小沢晴香は、声を上げながら〈映画研究同好会〉のドアを開けた。 定位置である椅子に座っていた部屋の主、斉藤八雲は、いかにも面倒臭そうに顔を上げると、これみよがしにため息を吐いた。「騒々しいな。何の騒ぎだ」 あくびを嚙み殺しながら言う。「実はね──」 向かいの椅子に座り、喋りだそうとした晴香だったが、八雲は手を翳してそれを制した。「喋るな」「どうして?」「どうせ、君のことだから、どこかでトラブルを拾ってきたんだろ」 ──正解だ。 今は、黒い色のコンタクトレンズで隠しているが、八雲は生まれつき左眼が赤い。 ただ赤いだけではなく、その瞳は死者の魂──つまり幽霊を見ることができるという、特異な体質をもっている。 これまで、その能力を活かし、数々の事件を解決してきた。 晴香が八雲と出会ったのも、ある心霊事件がきっかけだった。それ以来、心霊がらみのトラブルがある度に、八雲に相談を持ちかけていた。 そのせいで、八雲からはトラブルメーカーと不名誉な呼称を与えられた。 強く否定したいところだが、今回、八雲の許を訪れたのは、まさに心霊がらみのトラブルを抱えているからだ。「話くらい聞いてくれてもいいでしょ」「嫌だ」「どうして?」「面倒臭いからに決まってるだろ」 八雲は、ぴしゃりと言うと、テーブルの上に置いてあった文庫本を手に取り、ペラペラとページを捲り始めた。 どうあっても、話を聞く気はないらしい。「そっか……。そうだよね。いきなりトラブルとか持ちかけたら、迷惑だよね。ゴメン。八雲君の気持ちも考えずに……」 晴香は俯き、軽く下唇を嚙みながら、ゆっくりと立ち上がった。「本当にゴメンね。自分で、何とかするから……」 晴香は、もう一度謝罪をしてから、八雲に背を向けてドアノブに手をかけた。 ──あれ? ここまですれば、同情して呼び止めてくれると思ったが、その気配はない。「本当に、帰るけどいいの?」 思わず訊いてしまった。「言っておくが、その程度の芝居で、ぼくを騙そうとしても無駄だ」 ──バレていた。「お願い。本当に困ってるの」 晴香は、もう一度八雲に向き直り、必死に懇願する。「────」 ──無視された。 こうなれば、強硬手段に出るしかない。「実はね、私の友だちが、呪われているらしいの」「誰が喋っていいと言った」 八雲が、不機嫌そうに眉を顰める。だが、今度は晴香が無視してやった。 強引に話を進めれば、八雲は乗ってくるはずだ。「有名な占い師に鑑定してもらったら、悪霊に呪われているって言われたらしいの。このまま放っておくと、その呪いによって、自分だけではなく、親族に至るまで祟りが及ぶって」「祟りねぇ……」 八雲が、本のページを捲りながら気怠げに答える。「逃れる為には、何十万もする水晶玉を買わないといけないみたいで……」「見え透いた霊感商法だ。無視すればいいだろ」 ──よし。段々乗ってきた。「そうなんだけど、自分以外の人にも累が及ぶって言われたら、放っておけないでしょ。それに、放っておけない事情もあるの」「事情?」「うん。それ以降、友だちの身の回りで、変なことが起き始めたらしいの」「具体的に、どんなことだ?」「車に撥ねられそうになったり、駅のホームで背中を押されたり──危ないことが何度かあったらしいの」 占い師が言ったように、身に危機が迫りつつあるのだから、無視する訳にもいかない。このままでは、本当に自分が死んでしまうのではないかと、すっかり怯えてしまっているのだ。「だから、八雲君に助けて欲しいの」「もし、それが事実なら警察に相談すればいい。立派な殺人未遂だ」「警察にはもう言ったの。でも、これが悪霊の仕業なら、逮捕することなんてできないって」「何度も言うが、幽霊は……」「人の想いの塊のようなもので、物理的な影響力はない──でしょ。それは分かってるけど、放っておけないよ。だから助けて」 改めて懇願したが、八雲は相変わらず本のページを捲っていて、顔を上げようともしない。 こうなったら奥の手だ。「問題が解決できたら、ちゃんと報酬が出ると思う」 しばらくの沈黙のあと、八雲がパタンと本を閉じた。「幾らだ?」 八雲が、無表情に問い掛けてきた。
2
「美奈子」 晴香は、駅の改札前に立つ美奈子に、大きく手を振った。「晴香ちゃん」 美奈子が、手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。 が、すぐ近くまで来たところで、晴香の隣にいる八雲を見て、ピタッと動きが止まる。「あ、こちらは斉藤八雲君。心霊現象の専門家なんだ。色々と協力してもらおうと思って、呼んでおいたの」 晴香は、早口に説明した。 美奈子は、丁寧に「よろしくお願いします」と頭を下げたが、八雲は肩をすくめるようにして「どうも」と答えただけだった。 相変わらず無愛想だ。「美奈子に何か憑いてる?」 晴香は、小声で八雲に訊ねてみた。 もし、占い師の言ったことが本当だとしたら、美奈子には何かしらの霊が憑依しているということになる。 晴香には何も見えないが、赤い左眼をもつ八雲なら、その真偽を確かめることができるはずだ。「いいや。何も」 八雲は小さく首を振る。「ってことは、やっぱり占い師はインチキだってこと?」 晴香が訊ねると、八雲はこれみよがしにため息を吐いた。「そうやって、結論を急くから、真実を見失うんだ。少しは学習して欲しいものだな」 言い方は腹が立つが、そう言われても仕方ない部分もある。 八雲には何も見えないが、それは今は──という注釈がつく。時間帯や場所によって変化する可能性は、これまで何度も指摘されてきた。「ゴメン」「それで、件の占い師の事務所はどこだ?」 八雲がガリガリと頭をかきながら美奈子に目を向けた。「案内してくれる?」 晴香が訊くと、美奈子が「うん」と頷いて歩き出した。 歩きながら、八雲が改めて美奈子の身の上に起きた出来事について質問をした。 道路での一件や、駅のホームのことについて、日時や場所、周囲の状況など、子細に亘って訊ねた。 美奈子は、戸惑いながらも、それについて答えていく。 そうこうしているうちに、ファミリー向けマンションの前に差し掛かった。美奈子は、そこで足を止める。「このマンションの402号室」 美奈子が、マンションを指さしながら言った。 庭には緑が設けられ、クリーム色の壁の瀟洒な建物で、占い師の事務所があるようには思えなかった。「ぽくない」「ぽくないってのは、どういう意味だ?」 晴香の独り言に、八雲が口を挟んできた。「占い師がいるようには、見えないなぁって思ったの」「それは先入観だ。そうやって決めつけるから……」「はいはい。私が悪かったです」 晴香は、八雲の小言を遮った。いちいち、耳を傾けていたら、胃に穴が開きそうだ。「一つ訊いていいですか?」 八雲が、人差し指を立て、美奈子を見据える。「な、何でしょう?」 美奈子は、顎を引き、緊張した面持ちで言う。「件の占い師のことは、どうやって知ったんですか?」「大学のOBの方の紹介です。有部さんといって、今は出版社に勤務しているんですけど、取材で知り合った、よく当たる占い師がいる──と」「フルネームと、出版社名は分かりますか?」 美奈子は「はい」と答えて、有部のフルネームと、勤務している出版社の名前を告げた。 八雲は、メモを取ることなく「なるほど──」と答えると、改めてマンションに目を向ける。 細められたその目は、いつもより曇っているように見える。 もしかしたら、自信がないのだろうか? いや、八雲に限ってそんなはずはない。きっと。 いよいよ、占い師に会いに行くかと思うと、晴香まで緊張してきた。 ところが──。 八雲は、くるりとマンションに背中を向けてしまった。「え?」 驚く晴香を無視して、八雲はさっさと駅に向かって歩いて行ってしまう。「ちょ、ちょっと待ってよ。どこ行くの?」 慌てて呼び止めると、八雲がため息を吐きつつ振り返った。「どこって、帰るに決まってるだろう」 さも当然のように言うが、全然納得できない。「占い師に会いに行くって言ったじゃない」「会いに行くなんて言ってない。事務所はどこか聞いただけだ。目的は達成された。だから帰る」「全然、達成されてないよ。美奈子は、どうすればいいの?」 晴香が詰め寄ると、八雲は苦い表情を浮かべた。「うるさいな」「うるさくもなるわよ。だって……」「そうだな。三日ほど黙って待っていればいい。それで、全て解決だ」「は?」「聞こえなかったのか? 黙って三日間待て──そう言ったんだ」 それだけ言い残すと、八雲は歩き去って行った。 残された晴香は、美奈子と顔を見合わせることしかできなかった。
3
──もう。何なの。 晴香は、不満を抱えながら大学へと歩いていた。 占い師がいるマンション前まで行ったものの、八雲は「三日間待て──」と言い残して、さっさと帰ってしまった。 当然、美奈子は不安がり、どうすればいいのかと問い質してきた。 せめて説明だけでもしてもらおうと、八雲に何度も電話をしたのだが、コール音ばかりで、留守電にすら切り替わらなかった。 最初は、何か予定があるのだと思っていたが、折り返しの連絡すらない上に、メールまで無視しているのだから、おそらくは敢えて避けているのだろう。 そうこうしているうちに、八雲が言っていた三日が過ぎてしまった。 電話やメールだと無視されそうなので、こうして直接足を運んだというわけだ。「八雲君、いる?」 晴香は、声をかけながら〈映画研究同好会〉のドアを開けた。「何だ。君か──」 ようやく八雲に会えたのだが、相変わらず気怠げな表情でポツリと答えるだけだった。「何だ──じゃないわよ。もう三日経ったよ」「そうだな」「早く解決しないと、美奈子が……」「もう解決した」 八雲は、そう言ってから大きく伸びをした。「え?」「聞こえなかったのか? あの事件は、もう解決した」「どういうこと? だって……」「ニュースを見てないのか? 検索してみろ。記事が上がっているはずだ」 いったいどういうことだろう? 晴香は、困惑しながらも、スマホを使ってネットで言われた通りに検索してみた。 するとニュースの記事が幾つもヒットした。 その記事によると、女性に対する暴行容疑で、有部という出版社勤務の男が逮捕された。駅の防犯カメラの映像が決め手になったらしい。 その後、有部は、占い師と共謀し、客を突き飛ばすなどして、危険な目に遭わせることで、悪霊に憑依されていると信じ込ませ、魔除けとして水晶玉などを高額で売りつけていた──との供述をした。 その後の捜査で、占い師も詐欺容疑で逮捕されたとのことだった。「これって……」「そう。問題の占い師だ」「どうして急に?」「君の友だちは、警察に相談したとき、悪霊が云々という言葉を口にした。そのせいで、警察はまともに取り合わなかった。だから、悪霊ではなく、暴行の疑いがあると警察に助言をしておいたんだ」「ああ……」 言われて納得した。 確かに、悪霊に背中を押されたと言っても、警察は動かない。だが、人であれば話は別だ。 八雲の助言で、警察は防犯カメラの映像を解析し、有部が捜査線上に浮上したということだろう。 有部は、おそらく後輩の中から、詐欺に引っかかりそうな学生を探していた。 美奈子のように、気の弱そうな子を見つけては、占い師を紹介し、そこで悪霊にとり憑かれていると脅した上で、信憑性を持たせる為に、隙を見て背中を押したりして、危ない目に遭わせていたのだろう。 八雲は、そこまで見抜いたからこそ、敢えて占い師に会うことなく、あとを警察に任せたということのようだ。 三日待て──というのには、そうした意味が込められていたのだ。 警察が、どうして八雲の助言を素直に聞いたのかという疑問が浮かんだが、それはすぐに消えた。馴染みの刑事、後藤と石井だ。 あの二人なら八雲の言うことを真剣に聞き入れ、捜査をしてくれるはずだ。 事件が解決したことは、喜ばしいことだが、ちょっと残念な部分もある。八雲とインチキ占い師との対決を見てみたかった気もする。 そのことを告げると、八雲はふっと息を漏らして笑った。「無駄な労力を使わないのが、ぼくの主義だ」 八雲らしい言い分だ。「それより、報酬はきっちり払ってもらうぞ」 八雲が、じっと晴香を見据える。「報酬って……解決したのは警察でしょ」「誰をどう使おうと関係ない。貰うものは、きっちり貰う。これもぼくの主義だ」 がめついというか、何というか──。 それに、困ったことに、今回、実は美奈子に報酬が発生するとは言っていない。八雲に動いてもらう為の方便に過ぎない。 晴香が肩代わりするにしても、今は月末で金欠だ。とても、払えるような状況にない。「私、報酬払うって言ったっけ?」「言った」 八雲が、腕組みをしてむっとした顔をする。「えっと……ゴメン」 もう、ここは素直に謝るしかない。「謝って済むなら、警察はいらない。分割にしてでも、きっちり払ってもらう」 容赦のない八雲の言葉に、晴香は深いため息を吐いた。了
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