AIは生物学的疾患を根絶する手助けになるかもしれない

William Nakulski 氏は起業家であり、AI やソフトウェアに興味を持つコンピュータサイエンスの専門家でもある。


人間であるとはどういうことだろうか。その答えは、人間性と同じく、絶え間なく変化し続け、人類とそして時と共に進化し続けている。しかし何世紀にもわたって人間を定義づけてきた本質的な一つの要素は、死からは逃れられないということだ。全ての人は病気になり、そして死ぬ。だが AI のような先端技術は、専門家の知性が成功すればではあるが、それを変えることができるかもしれない。

ペニシリンが登場し、疾病のゲノムを配列することができるようになり、最近では CRISPR を発見し、そういったマイルストーンを経ながら過去1世紀の間、生物学的疾患を減らし撲滅するため長い道のりを歩んできた。そして今、医療分野におけるコンピュータの出現をもって、人類は医療の進歩を一気に推し進めようとしている。もしくは、病気による死をついに終わらせようとしていると言ってもいいかもしれない。

病気はまだ存在するが、技術の進歩は早い

このデジタルの時代にあっても、国中でそして世界中で主な死因はいまだに病気である。トップは心臓疾患、ガンが僅差で2位となっている。

信じられないかもしれないがこれは進歩の証だ。対照的に、1900年当時のアメリカ人は現代なら治療可能な病気で死んでいた。例えば結核や肺炎やインフルエンザのような呼吸器疾患や、コレラや赤痢といった胃腸感染症である。簡単に言うなら、現代文明における病気とはスペイン風邪や腺ペストのような病原菌による伝染病ではなく、座っていることが多い生活スタイルや現代的な習慣に端を発する病気である。

人間は直線的に考えがちであるが、協調的な方法と技術の飛躍により、技術的な進歩は指数関数的になる傾向がある。全世界で経済的な繁栄が増加していく中で前述の傾向は他の国にも広がっている。心臓麻痺や心臓発作が下気道感染症や下痢のような以前の感染症を押しのけるのだ。国が豊かになるにつれ(そしてインフラが整備されるにつれ)、脅威の対象は明らかに移り変わる。不衛生な環境が原因の苦痛から逃れることができたとしても、そこには豊かな社会の負の側面が待ち受けているのだ。

AIは生物学的疾患を根絶する手助けになるかもしれない

以上のことは興味深い疑問を一つ投げかける。私たちは本当に病気をなくすことはできないのだろうか、ただ死因を変えていくことしかできないのだろうか。

コンピュータ・ドリブンの医学

これにより私たちは新たなマイルストーンを迎える、すなわちコンピュータである。(1960年代に初期のコンピュータが血液によって感染する病気の追跡に使用されていたように)コンピュータはもうすでに長い間医学分野で使われてきたが、新たな発展は同分野に大変革を起こすかもしれない。もっとも有望な発展はマシンラーニングであり、私たちが知る病気をなくす手助けとなることが約束されている。

今のところ、私たちは医療分野におけるマシンラーニングが持つ可能性の、その上っ面を撫でたに過ぎない。今日、マシンラーニングプログラムは医師を補う役割を果たしている。ソフトウェアは多量のデータをふるいにかけて解釈し、患者の現在の問題を診断して過去の病歴から患者のプロフィールを作成、そして将来の状態を予測することまでシームレスに行っている。医療分野の研究が生み出すデータがどれほど膨大かを考えれば(あるヘルスケアネットワークは2003年に、現存する全ての無作為試験を人間が再検討するには30年かかるとの概算を出した)、コンピュータが余分なデータを削ぎ落として分析し、患者のデータを収集することができるというのは非常に将来有望である。

ディープラーニング

マシンラーニングの能力はいまだ発展途上だ。ディープラーニングと呼ばれる改良型は人間の脳の構造そのものを模したプログラムであり、研究者はそれを用いて有望な実験を行っている。ディープラーニングプログラムは互いに重なり合ったアルゴリズムの層により構成されている。ある層が受けたインプットは次の層へと伝達され、後に続くそれぞれの層でインプットに対してさらなる処理を行う。この込み入ったシステムによって、ディープラーニングは易々とパターンを認識し、一般的なマシンラーニングプログラムがこれまで私たちに見せてきたものよりもさらに高いきわめてハイレベルな処理をほしいままにすることができる。

この処理能力により、いずれは疾病撲滅へ向けたカウントダウンを始められるかもしれない。グラフィックス処理装置の生産でよく知られている Nvidia は、ディープラーニングにおけるリーダー候補である。意外に思えるかもしれないが、開発者が明言するように、GPUの性質のおかげでディープラーニングにとって理想的となったのだ。8個のコア(コンピュータチップ)を持つ一般的な CPU に対して、GPU は複雑なプログラムの実行を簡単に行うために数千のコアを持っている。この予想外のクロスオーバーによって Nvidia は現在ディープラーニングについての専門知識を医療に応用している。その刺激的な応用とは、神経障害に関係する遺伝要因を特定したり、アルゴリズムを用いて患者の予後を予測したり(そしてそれらの過程の中でも失敗と成功を絶え間なく学習したり)といったことである。

適応力があり自立的な特性、医療分野におけるディープラーニングの最大のアドバンテージは、まさにそこにある。ディープラーニングのアルゴリズムは人間と同様に、得た知識を礎として構築し進化していくことができる。事実、様々な応用分野においてディープラーニングは人間の能力を超えることができると研究は示唆している。医療画像ではかつては専門家にしかできなかった仕事を、ディープラーニングははるかに低い不正解率で自動化してみせた。実際、いくつかのディープラーニングのチームは彼らのプログラムを使って患者の写真だけを手がかりに皮膚がん細胞を判定し、そのアルゴリズムの素晴らしい能力を証明している。

この技術は、病気に対する私たちのパラダイムをひっくり返そうとする最先端で先進的な機関で積み重ねられて来た。例えば Microsoft 生物学計算研究室は多岐にわたる刺激的な処理をホストしている。もっとも劇的なものは生体系を模したモデルを作り結果を予測することができるというものではないだろうか。マシンラーニングと数学と生物学が交わる場で、Microsoft の研究室はいつの日か細胞の振る舞いを理解およびコントロールし、プログラミングを通じて病気の治療ができるようになるという希望を抱いている。

これはまだ氷山の一角に過ぎない。新しくできた USC Michelson Center for Convergent Bioscience では Fei Sha 氏のような AI の専門家がマシンラーニングを健康と生命科学に応用し、ガンのような病気の遺伝的要因を特定してそれを治療するための非常に効果的で精密な治療法を開発しようとしている。

未来は今ここに

なんと刺激的な時代だろうか。ひところは0と1の羅列に過ぎなかったコンピュータサイエンスが、健康とウェルネスに関して誰も予想できなかった方法で大変革を起こそうとしている。人間であるとはどういうことかという問いの答えを技術は変え続けてきた。そして知能を持つ機械の登場とともに、肉体とコンピュータを分ける線はかつてないほど繊細になっている。含蓄は並外れて大きい。

想像してみよう、全ての人が SD カードもしくはその人自身の遺伝情報と等しいものを持ち、医師は患者固有の情報に基づいて内臓や四肢をプリントアウトするような日が来るかもしれない。他にも、AI コンピュータの大量の研究は指数関数的なペースでデータの収集と学習が行われることでなされるかもしれない。Stephen Hawking 氏が警告するように AI に危険性があるのは事実だが、危険な領域に近づこうとすらせずともいくつかの驚異的な機会が存在するのだ。

もしそれが達成可能だとしても、病気から解放された楽園に到達するには障害があることは間違いないだろう。また、人口の過剰や不均衡、多数の倫理的難題といったことが結果として起きる可能性もある。だがコンピュータサイエンスは少なくとも人間性を再定義しており、またこの先も再定義し続けるであろうし、同時に AI は主流医学に風穴を開けるだろう。この点では、人間であるとは本当はどういうことかという問いの答えは、死からは逃れられないということではなく、むしろ死を乗り越えることができる私たちの驚くべき能力によって決定されるのかもしれない。

【via VentureBeat】 @VentureBeat

【原文】

BRIDGE Members

BRIDGEでは会員制度「BRIDGE Members」を運営しています。会員向けコミュニティ「BRIDGE Tokyo」ではテックニュースやトレンド情報のまとめ、Discord、イベントなどを通じて、スタートアップと読者のみなさんが繋がる場所を提供いたします。登録は無料です。
無料メンバー登録