女性の安全対策、従えば安全なのか ロンドン女性教師殺害で議論再燃

サン・ベル、BBCニュース

イギリスで再び、女性の日常生活における安全が大きな関心を集めている。その理由はまたしても、女性が「安全」とされる状況で殺害されたことがきっかけだ。

小学校教師のサビーナ・ネッサさん(28)は17日夜、友人に会うためにパブへと向かっていた。午後8時半に、利用者の多い公園を通り抜けて5分でたどり着くはずだったが、パブに姿を現すことはなかった。ネッサさんの遺体は翌朝、通行人によって発見された。

ネッサさん殺害事件についての記者会見でロンドン警視庁のトレヴァー・ロウリー警視長は、「街は女性にとって安全だ。みんなが怖がらずに自由に歩き回れる場所であるべきだ」と述べた。

その後、あるコミュニティー・グループが、ロンドン警視庁のウェブサイトにある情報を印刷し、配布した。「街中で安全を確保する方法」と題し、女性はヘッドフォンを着けてはいけないと書かれていた。また、人通りの多い場所にいること、貴重品を隠すこと、明るい場所を歩き、帰宅時にはタクシーを予約することなどが助言されている。

ロンドンでは今年3月、歩いて帰宅中の女性会社員サラ・エヴァラードさん(33)が、見知らぬ男性に誘拐・強姦・殺害された。エヴァラードさんは、女性が守るべきとされている数々の「ルール」に従っていた。午後9時という比較的早い時間に大通りを歩き、露出の少ない服を着ていた。

そして、エヴァラードさんは警察官を信用していた。危険を感じた時に助けを求めるべき人たちだ。この事件では、ロンドン警視庁の現職警官が逮捕され、犯行を認めた。

さらにこの事件の9カ月前には、ビバア・ヘンリーさんとニコール・スモールマンさん姉妹が殺害された。「1人きりでなければ安全」という理論は2人には当てはまらず、公園にいるところをナイフで何度も刺されて亡くなった。パートナーと常に連絡を取り合い、予約したタクシーを待っていたにもかかわらず、いわゆる「悪魔と契約した」男性の2人を殺そうという意志は止められなかった。

2人の遺体は2日後、やぶの中にあるのを友人らが発見した。

「行動が安全を左右する」とたたき込まれる

ロウリー警視長の言うように、女性は恐怖を感じることなく自由に歩き回れる「べき」だ。当然、問題なのはヘッドフォンを着けていた女性ではなく、その女性を殺した男性にある。そしてもちろん、襲われたり、誘拐されたり、強姦されたり、殺されたりしないようにと、女性が行動を変えなければいけないのはおかしい。

しかし「女性であることと、安全性に気を配らなければならないことは不可分になっている」と、ジェンダー平等を推進する英議会の超党派グループ「フィフティー・フィフティー・パーラメント」のケリー・グレナン議員は指摘する。

「女性たちは若いころから、行動が安全を左右するとたたき込まれている。公衆トイレに1人で行ってはいけないと言われ、中学校に上がるころには強姦対策の防犯ベルを持たされ、あこがれのアイドルのような格好をすると『欲しがっている』とか『性的魅力がある』と言われる。たとえ生理が始まっていない年齢でも」

ネッサさん、エヴァラードさん、そしてヘンリーさんとスモールさん姉妹の殺害事件はあまりに無作為で、全ての女性に危険があることを暗示している。

もしネッサさんが違う時間帯、違う場所で友達と待ち合わせていても、エヴァラードさんの帰宅時間が10分ずれていても、ヘンリーさんとスモールマンさんが公園の別の場所にいたとしても、別の女性が人生の終わりを迎えていたかもしれない。危険を避ける「ルール」に従ったところで、すべての女性は殺される可能性がある。

自由と引き換えに安全を選ぶ

女性や少女たちが自由と引き換えに安全を選ぶ行動は、学術研究の対象になっている。

セクシャル・ハラスメント(性的嫌がらせ)をめぐる欧州最大規模の調査では、対象となった女性4万2000人の半数近くが、性別に基づく暴力被害を避けるために、移動の自由を制限していると答えた。

ロンドン・メトロポリタン大学で児童・女性虐待の研究を行っているリズ・ケリー教授は、女性が日常での経験に対応するために開発した戦略を「セーフティー・ワーク」と名付けた。こうした予防策は通常、無意識のうちに習慣や「常識」の中に組み込まれるという。

そしてそれは、私たち女性全員がやっていることだ。玄関の前では携帯電話が充電されていることを確かめ、いざという時に武器になるような持ち方で家の鍵を握り、後ろから誰かが一緒に入ってこないように目を光らせる。先ほどまで一緒にいた友人に「無事に帰宅した」とメッセージを送り、同じ内容が返ってくるのを待つ。これが普通だ。これが一般的なやり方だ。これが女性であることの一部だ。

女性の安全対策、従えば安全なのか ロンドン女性教師殺害で議論再燃

警察やその他の組織から提供される安全対策は、こうしたセーフティー・ワークを恒常的なものにしている。遠回りであっても人通りが多く明るい道を通ること、地下鉄では女性の乗っている車両に乗ること、帰宅時にはかかとの平らな靴を履くこと(走って逃げられるように)。

ケリー教授の言うように、「セーフティー・ワークのせいで、女性たちの時間やエネルギーが削られている。用心するということは、公共の場にただいて、運動を楽しんだり季節を感じたりする機会が限られると言うこと」だ。

エヴァラードさんが失踪した際、ロンドン警視庁のクレシダ・ディック総監は、誘拐・殺害される事例は「極めてまれ」だと、女性たちを安心させようとした。

この点は事実だ。殺人事件の被害者の女性の割合は3分の1ほどで、赤の他人に殺されたケースはわずか13%だ。女性被害者の多くは、パートナーや過去のパートナーに殺されている。公園よりも、自宅で殺される可能性の方がはるかに高いのだ。

つまり、女性はバランス感覚が求められている。社会が妥当だと思う程度に警戒する一方で、「取るに足らない」、「頻繁には起こらない」と言われる危険に対しては過剰反応してはいけない。

英ダーラム大学助教授のフィオナ・ヴェラ=グレイ博士はこうした状況を、「適量のパニック」という言葉で説明している。

「あなたはこういう事件に一切あわないだろう。しかし女性の誰かには起こる以上、あなたの身にそれが降りかかった場合には、きちんと怖がっていなかったあなたの責任だ。十分にパニックにならなければあなたが悪いと言われるし、パニックになりすぎたらそれはヒステリーとされる」

女性の権利擁護団体「Reclaim These Streets(街を取り戻せ)」の共同創設者、アナ・バーリー氏は、「女性が公共の場で見知らぬ人に殺されるという最悪の事件が起こった時、そういう事件は極めてまれで、街は非常に安全だと言われる」と指摘する。

「しかしキャットコーリング(性的な声かけ)や露出狂など、街中で実際に受けた嫌がらせの経験から、私たちが安全でないことがわかる。それに、初犯で殺人を起こすケースも極めてまれだ」

「女性に行動を変えろと求めるような解決策を模索するべきではない。女性は暴力の恐怖を感じることなく、昼夜を問わずどの時間帯でも、公園を5分で歩いて通り抜けられるべきだ」

理想の世界では、誰もが他人に嫌がらせを受けることなく自分たちの生活を送ることができるだろう。ダイヤモンドがちりばめられたミニスカートを履いていても、プラチナ製のノイズキャンセリング機能の付いたヘッドフォンを着けていても、警戒態勢で麻のつなぎを着ていても、暗い小道を通ろうが公園を横切ろうが安全なはずだ。

しかし、もしそんなユートピアが実現するとしても、そこにたどりつくまでの間、警察や慈善団体が提供するアドバイスは実際に女性を守れているのだろうか? 仮に被害者を糾弾するという非常に問題のある言説を無視したとして、身を守るための対策は、不愉快ではあっても現実問題として、第三者による危険から私たちを守ってくれるだろうか?

ネッサさん、エヴァラードさん、そしてヘンリーさんとスモールマンさん姉妹の殺人事件は、そうではないと示唆している。

彼女たちは「ルール」に従い、それでも殺された。エヴァラードさんを殺害した犯人は、街灯のともる大通りや、そこかしこに設置された防犯カメラにひるまなかった。ヘンリーさんとスモールマンさんを刺殺した男性は、1人きりでも無防備でもなかった女性2人を難なく殺した。

上に挙げた3件の事件は、イギリスで注目が集まったものだ。女性が襲われたが殺されなかったケース、車に連れ込まれそうになったが振り切ったケース、男性から性的に攻撃的な言葉を投げられかけたが身体への暴行には至らず、それでも女性に怒りと恐怖とパニックをもたらしたケースは山のようにあるだろう。

こうした被害を受けた女性たちも、ガイドラインに従い、セーフティー・ワークを行っていたかもしれない。危険だと繰り返し言われているような状況に積極的に自分を置こうとする女性は非常に少ない。

「テロ対策と同等の優先度」

イギリスのプリティ・パテル内相は、エヴァラードさんの事件の後、女性への加害事件に対する警察の対応を調査するよう、独立機関「警察監査局および消防救急サービス(HMICFRS)」に命じた。

調査報告書は、ネッサさんが殺害された日に発表された。

報告書では、警察の継続的な失敗を特定したうえで、「システムをまたぐ根本的な変化」が必要だと指摘。また、女性や少女に対する暴力対策は、「テロ対策と同等の優先度」で行われるべきだとした。

ロンドンのサディク・カーン市長は「この問題を解決するためには、全体的に協調性の保たれた政策が必要だ。学校で女子に敬意を払うよう男子に教え、適切で健全な人間関係教育を行うことから始めるべきだ」と述べた。

その上で政府に対し、「ミソジニー(女性嫌悪)を法律で禁止」し、「公共の場での女性への嫌がらせを刑事事件として取り扱う」べきだと訴えた。

こうした対策が明日からすべて実行されたとしても、現実に変化が生まれるまでにはどれくらいの期間がかかるだろうか?「健全な人間関係」という概念が、算数の授業と昼休みの間に片手間に教えられるようなものではなく、常識になるまでだろうか?

女性が襲われるのは、自宅への帰り道のせいでも、「目的があるように」歩かなかったせいでも、ましてや着ている服のせいでもない。女性が見知らぬ男性に殺された場合、その理由は、その男性がその女性を殺したかったからだ。他に理由はない。

社会全体も、そして個人としての女性も、犯人に言い訳をさせてはいけない。いかに善意から出たものであっても、女性に対するアドバイスそのものが、危険を招いているかもしれない。

ケリー教授はさらに畳みかける。「女性の安全を守る議論が、女性の自由を守る議論に変わるためには、何が犠牲になる必要があるのだろうか」と。

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