笠松競馬、コロナ禍を乗り越えて再開へ

 毎度お騒がせの笠松競馬場。2月18日には「梅花シリーズの開催取りやめ」の一報が流されて、一瞬「また何かやらかしたのか、不祥事があったのでは」と思った人も多かったようだが、今回は所属騎手たちにコロナ禍が直撃。まん延防止のため、開催を中止せざるをえない状況に追い込まれての決断となった。

 まず1月に所属騎手2人の新型コロナウイルス感染が判明。2月にはクラスターが発生し、感染拡大の流れを食い止められなかった。開催実施できないことは、応援してきたファンをがっかりさせ、馬券を買ってもらえなくし、厩舎関係者の生活にも影響を与えた。密集しやすい業務エリアでは、騎手不足などによる仕事の「過密さ」も加わっていた。競馬組合ではコロナ禍を乗り越えて再開を目指しているが、感染拡大防止は徹底できるのか。レース中止に追い込まれた現場の状況や問題点を検証した。

■期間限定騎手を含め17人のうち11人がコロナ陽性

 昨年は大きな不祥事で8カ月間も休んだ。「新生・笠松競馬」がアピールされ、当面は平穏な日々が続くことを願っていたが、そう甘くはなかった。再出発してから5カ月しか経過していないのに、再び開催中止という厳しい事態に直面してしまった。

 笠松競馬の所属騎手は、馬券の不正購入などで9人に半減していたが、新型コロナウイルス感染の追い打ち。1月24日以降、期間限定騎乗の8人を含めた所属騎手17人のうち11人のコロナ陽性が判明。このうち2月6日以降では、如月シリーズ(7~11日)の前後に計9人がPCR検査で陽性になり、競馬組合では開催期間中にクラスターが発生したと判断。次回開催の取りやめを決めた。

 レース期間中、騎手たちは初日の前夜から最終日のレース終了まで、競馬場内に缶詰めとなり、調整ルームで寝泊まりする。2月は6日に4人、9日に2人、12、13、18日に各1人の陽性が判明した。このため、調整ルームや騎手控室など業務エリアでのコロナ感染が濃厚になり、クラスター発生と判断した。

■調整ルームや騎手控室は密集しやすい空間

 クラスターの前兆となったのは、睦月シリーズ(1月25~28日)。関係者によると、前の週の全休日前日に、複数の騎手で飲食に出掛けて感染したとみられ、1月24日に所属騎手2人の陽性が判明。2人が濃厚接触の疑いとなり、計4人が翌日から騎乗変更になった。この時点で調整ルーム内では、2人部屋をなくして個室に。風呂の利用では人数を制限。食事は食堂でなく、各自の部屋で食べるようにした。25日から4日間のレースが行われたが、競馬組合では調整ルーム内などで感染が拡大しないかヒヤヒヤしていたという。

 調整ルーム内には共有スペースの娯楽室もある。レース期間中は騎手仲間と談笑し、心身の疲れを癒やす場所で、ワーワーとにぎやかになったりもする。また、騎乗したレースをVTRでチェックすることもでき、騎手らの馬券不正購入事件では「作戦会議」が行われ、不正の温床にもなったスペース。一連の不祥事を受けて監視カメラが増設された。

 その日のレース終了後は調整ルーム内で過ごす時間も長く、「感染が広がらないように、しっかりと対処してますよ。食堂にみんなが集まってお酒を飲んでワイワイとなっちゃうといけないんで」と、騎手たちは個室でのんびりと食事をしていたそうだ。

 岐阜県内では、連日500~800人規模のコロナ感染者が確認されており、まん延防止等重点措置は再延長。調整ルームを出た後の騎手たちは自由な時間が増えるだろうが、夜の街への出没は控えた方がよく、今回の感染で問題となったグループでの外食なども、しばらくの間は我慢するべきだ。

笠松競馬、コロナ禍を乗り越えて再開へ

 業務エリアにあり、人の出入りが多い騎手控室では、通常のレース映像やパトロールビデオなども流され、レースを終えたばかりのジョッキーたちがお互いの騎乗ぶりなどをチェックする。ストーブを挟んで向かい合う形でソファが並べられており、マスクなしで歓談することもあるそうだ。狭いスペースで密集しやすい空間。期間限定騎乗の騎手が多く加入したことで、よりにぎやかになり、若手らを中心に盛り上がっていたそうだ。

■睡眠時間は少なく、騎手不足で超ハードワーク

 一連の不祥事による騎手不足のため、午前1時台から9時頃までの調教タイムでは、1人30頭ほどに騎乗するなど超ハードワークになっていた。昨年9月以降は隔週での本番レースが続き、疲労もたまりやすい状況で、騎手たちは、きつくても休まずに無理して乗っていたとみられる。

 「睡眠時間は午後9時半から1時頃までで、1日3時間半ほどです」と若手騎手。土日には深夜までバイトをして、そのまま徹夜で攻め馬をこなすタフな男もいて、笠松の騎手たちは睡眠時間が少ないようである。これも収入減で生活を守るためではあるが、過労で体力は低下傾向にあっただろうし、健康面でのリスクは増幅していた。多くのコロナ感染者を出してしまったが、一般的な3密以外にも、騎手不足による仕事の「過密さ」も、感染拡大の一因になったように思える。騎手控室では、攻め馬の空き時間やレース中の出入りが多く、若手騎手は周辺で馬具の手入れをしたりするし、清掃業務などを行うスタッフさんもいる。パドックへ向かう騎手バスは2台になり、名古屋と笠松の騎手が分かれて移動するようになった。業務エリアには装鞍所や検量室などもあり、3密にならないよう騎手らの「動線」を分断する対応が必要になる。不正防止の監視カメラの増設だけでなく、コロナ感染防止のための指導員を配置するなど、マンパワーでの対策を講じるべきだ。

■期間限定騎手たちもコロナ感染、つらい思い

 NAR(地方競馬全国協会)の「新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」には、きめ細かい対策が列記されている。騎手控室では、レース直前やレース中を除いて、マスク着用を義務づけている。競馬組合、調騎会が目を光らせて、感染対策の徹底をレース期間中も呼び掛け、騎手それぞれがマスク着用など基本的な感染防止対策への意識を高めていくべきだ。

 笠松開催をサポートした助っ人たちの期間限定騎乗では、馬渕繁治騎手(北海道)が18日まで期間を延長してくれた。田中洸多騎手(大井)は4月10日まで騎乗する。コロナ禍で1カ月間も笠松開催がないこともあって、妹尾将充騎手は3月末までの予定だった騎乗期間を短縮して高知へ戻った。期間限定騎手たちも多くがコロナ感染者となり、つらい思いをしたことだろう。妹尾騎手は高知でのレース中、落馬事故で大けがを負った。

 1月の段階ではレース期間中の感染拡大はなく、楽観視もされていたが、2月に入って感染が連鎖。競馬組合も「前回のことがあるから、皆さん自粛して、わきまえていると思っていましたが」と落胆していた。みんなで外出して飲食するのが一番良くないので、3密になりやすい場所へは「外出禁止」ぐらいの措置は必要だろう。2月のクラスターでは「対応が後手に回ってしまったのでは」というファンの声もあった。

■再開に向けた攻め馬で、元気にコースを周回

 コロナに感染した騎手たちは、重症化することなく回復。早朝からの攻め馬に励んでいた。本来なら祝日開催で盛況となったはずの2月23日。レースがなくて残念だったが、騎手らの動きはいつも通り。「みんな攻め馬に励んでいる」とのことで、笑顔も見せながら元気にコースを周回する騎手もいて一安心。不祥事やコロナ禍があっても、笠松の厩舎に競走馬が居る限り、木曽川河畔での攻め馬は、ずっと続けられることだろう。

 2021年度は約10億円の赤字を抱える「マイナスからのスタート」。昨年9月再開以降、馬券販売は好調で、年度末の赤字幅は5億2000万円に減らせるとの見通しが示されていた(昨年12月)。1月には2日連続で馬券販売が6億円超えとなり、赤字額はもっと減らせそうな勢いだったが、コロナ禍での開催取りやめで急ブレーキ。馬主さんをはじめ、騎手・調教師・厩務員ら厩舎関係者には、レース出走相当額の補償費を支給する必要が生じ、1開催で数千万円規模の赤字が膨らむ見込みだ。金沢、岩手などが冬季休業する2月開催は、笠松の売り上げが伸びるシーズンで、「赤字額を減らせるチャンスだったのに、もったいない」である。今後は随時、PCR検査を行うなど騎手全員の健康を確保し、3月の2開催で何とか巻き返していきたい。

 今回は不祥事というわけではなく、世界中を揺るがしているコロナ禍という「難敵」との闘い。ここ1~2年、競馬場を覆ってきた「もやもや感」は、一気には晴れずスッキリしないが、騎手たちは1開催だけ休んで充電。春の訪れとともに「エンジン全開」といきたい。

■馬インフルで計4日間短縮されたことも

 笠松競馬の開催取りやめといえば、これまで昭和の時代(1975年)の八百長、覚醒剤事件で2開催が中止。競馬場からの放馬・衝突事故で2人死傷(2013年10月)や、厩舎からの住宅地への放馬事故(19年6月)でそれぞれ1開催が中止。降雪など天候不良で開催が取りやめになることもあった。

 07年9月には馬インフルエンザの影響で、5日間の日程を3日間に短縮したことが2度あった。感染拡大防止のため、他場との交流を制限したため名古屋や金沢などの競走馬が、笠松のレースに出走できず、頭数確保が難しくなったため。他場でも馬インフル感染拡大があり、計4日間の開催短縮となった。

■「パクじぃ」馬インフルから復活登板

 08年6月にも馬インフルの影響でレースを1日短縮した。当時25歳だった誘導馬ハクリュウボーイが馬インフルから復帰し、レース馬誘導に「登板」してファンに雄姿を披露した。「パクじぃ」の愛称で親しまれた人気馬だった。前開催初日の検査で陽性反応が出て隔離され、誘導馬騎手の塚本幸典さんが歩いて誘導する異例の事態になった。幸い目立った症状は表れずに陰性に転じ、厩舎に戻った。 復帰初日、ハクリュウボーイは普段より多い12のレースで競走馬を誘導し、炎天下、装鞍所とパドックを往復。10キロ以上を歩き切り、カメラを向ける女性ファンらに復活を印象づけた。塚本さんは「年寄りでも体力があったから発症せずに済んだのだろう」と復帰を喜んだ。ハクリュウボーイは全国最高齢の誘導馬として活躍し、30歳の長寿を全うした。

 競走馬としてはオグリキャップと同じレースに出走したこともあり、通算12勝の成績を残して引退し誘導馬になった。芦毛の愛くるしさと、年を重ねても頑張る姿がファンの心をつかみ、関連グッズが発売される人気ぶりだった。

 笠松の次回開催は、重賞マーチカップ(17日)が行われる弥生シリーズ。14日のレース初日には所属騎手全員が元気に顔をそろえて、ハクリュウボーイのようにたくましく復帰し、応援してくれるファンの前で健在ぶりを見せてほしい。

■寺島良厩舎所属の今村聖奈騎手、JRAデビュー

 3月を迎えて明るいニュースでは、JRAで4人目となる現役女性ジョッキー、今村聖奈騎手(18)が5日にデビュー。栗東・寺島良調教師(岐阜県北方町出身)の厩舎所属と知って、応援にも力が入ることになった。阪神1R3歳未勝利戦で、師匠の寺島調教師が管理するリンギングファン(牝3歳)とのコンビで8着。初日は7Rの3着が最高だった。滋賀県生まれで、父は障害GⅠ(中山大障害)を制覇したことがある今村康成元騎手。 すごく明るくて、しっかりしているそうで、目標とする先輩ジョッキーは、武豊騎手、福永祐一騎手、幸英明騎手だ。「人馬一体」をモットーに、まずは初勝利を目指す。寺島厩舎といえば、重賞勝ちがあるミスマンマミーアが所属していた。昨年の宝塚記念でも6着と健闘したが、けがもあって引退し、繁殖入りした。馬主は吉田勝利さん(岐阜県馬主会副会長)で、ミスマンマミーアは6勝を飾った名馬で、藤田菜七子騎手が重賞で騎乗したこともあった。笠松競馬の深沢杏花騎手とは、地方・中央の騎手が腕を競う今年の「ヤングジョッキーズシリーズ」笠松ラウンドで対戦する可能性もある。地方、中央ともに増えてきた女性騎手たち。「レディスジョッキーズ」で成長した姿を見せてくれた杏花騎手とともに、騎乗馬と一体になって夢を追う聖奈騎手の奮闘ぶりにも注目していきたい。吉田オーナーの持ち馬では、笠松から中央に移籍したダルマワンサもいる。笠松出身馬などに聖奈騎手が騎乗する日も、そう遠くなさそうだ。